見る前に飛べますか

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直感で、「これだ!」と思うものに飛び込む。そんな勇気が持てれば、どんなにいいことか。
「これ、良いかも」と直感で感じ取ったとしても、それが外れていたらどうしよう…と悩んでいる間にタイミングを逃した経験、きっとあなたにもあるでしょう。
石橋を 叩いて壊す デストロイ

元々私は非常に臆病で、石橋を叩いて壊すタイプの人間です。色々叩き過ぎました。
人の顔色をうかがったり、誰かに嫌われているんじゃないかなんてウジウジ考えながら生きてきました。恥の多い生涯を送ってきました。
そんな私ですが、これまでの人生を思い出してみると「重要な決断ほど直感に頼る」生き方をしてきたようにも思います。
相反しているような気もしますが、そうなんだから仕方ない。
ざっと振り返るとこんなところでしょうか。あくまでも、ここで話せるものとしては…。
学生時代に中国へホームステイ、ギターをはじめた、結婚を決めた、ギター教室をはじめた、正社員を辞めてフリーランスになった。
(…これだけ見ると全然石橋デストロイじゃない。おかしいな…。)
デストロイ石橋だって、考えるほどに不安に飲み込まれる気持ちは痛いほどわかります。ホントですよ。
直感がくれた財産~中国へのホームステイ

学生時代に中国へホームステイしたのは、完全にノリでした。
中学2年のホームルームで、「上海にある提携校との交流の一環として、5泊6日のホームステイを実施する」との告知があったのです。
参加費用は12万だったか20万だったか忘れましたが、親への許可も取らずに参加希望を出した覚えがあります。
おとんおかんゴメン。行かせてくれて感謝してます。
知らせの紙を配られたとき、「なんか楽しそう!」という謎の直感と、「異国の地で、何がどうなるのか分からない」不安を感じたことを覚えています。
海外で過ごすのって怖そう、日本語通じないの怖い、中国人と分かり合えるの、ホームステイとかなお怖い、飛行機怖い、パスポートどうやってとるの、などなど…。
頭の中を不安が駆け巡りました。
でも、滅多にできない経験に対してのワクワクが強くて、すぐに参加希望を出しました。
いざ行ってみると、不安なんてぜーんぶ杞憂でした。
中学2年、欠点ギリギリの英語でも意思疎通できましたから。なんの問題もありませんでした。
「人がコミュニケーションをとる時に言語から得ている情報はわずかなもので、表情や仕草のほうが重要だ」と説く「メラビアンの法則」を知ったのは、大人になってからでした。

直感で飛び込んだ中国での経験は、「テキトーな英語でも海外で生きていく事はできる」ことと、「どんな国にも家族が居て、大切にしているものがある」。
後者はとても当たり前のことかと思うかもしれません。ですが、本当にそう思えるでしょうか。
高校、大学、社会人になるにつれて、さまざまな国際情勢が毎日耳に入ってきました。
これからも、あまり穏やかじゃないニュースだって飛び込んでくるでしょう。
それでも海の向こうの世界だって、同じ人たちが生きている、あの時の人たちが生きているんだと思うと、色々と考えさせられます。
「どんな国にも家族が居て、大切にしているものがある」という心だけは、どんな時でも忘れたくないなと思っています。
もちろん、何事にも優先順位はありますけれどもね。
あー、あと中国の水道水は沸かさないと飲めなかったです。日本のインフラに感謝しましたね。
それと、リニアモーターカーはめっちゃ速かったです。上海と北京を2時間ちょいくらいで移動できた気がします。
見る前に跳べ

Leap before you look
見るまえに跳べ
危険の感覚が消え失せてはならない
たとえここからはどんなに緩やかに見えようと
君の行く道は短く険しいのだ
見たいなら見るがいい、でも君は跳ばなくてはいけない
〜 W.H.オーデン 引用元はこちら
聞いたことがあるでしょうか?「石橋を叩いて渡る」とは対極の一節、「見る前に跳べ」。
大人になると。立場ができると。守るものがあると。その他なんやらかんやらを考えると。
…跳べません。賢くなればなるほど跳べません。
不自由なことは、何一つないはずの暮らしを毎日している私たち。
蛇口をひねれば飲み水が出る。娯楽は手のひらの上で完結。医療は発達して健康寿命も長い。空から爆弾が降り注ぐことも(今のところは)ない。
失職したって、命を落とすことはありません。生活保護がありますから。
こんなに手厚く賢い生き方を享受できる幸せも、きっと当たり前ではないのでしょう。
こんなに満たされているのに、それでも、なぜか心が満たされない毎日を過ごす人も多い。
孤独を嘆く人が多い。
最適化されたインフラで暮らしているはずなのに、賢い経済圏の中で暮らせているはずなのに。
これってつまり、快適な環境に身を置いた結果なのではないかと思っています。
賢くない選択肢を欲しているサインなのではないかと思うんです。
正解まみれの世界で輝く、賢くないこと

どれだけ快適な環境が築かれても、自分の生き方はこれでいいのか?って自問自答している人、結構いるんじゃないでしょうか。
「自分は正しい生き方をしている。今の私が正解なんだ」と自分に正直に言える人が、どれだけいるでしょうか。
いつの間にか囲まれていた、親の、知り合いの、世間の常識。
これらの柵の中で暮らしていると、大きな波風は恐らく立たないんでしょうけれども。
間違っていないはずなのに、物足りなさを感じる人もいるはずです。
「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションでしかない」
アルベルト・アインシュタイン(物理学者)1879~1955年。特殊相対性理論、一般相対性理論、光量子説など数々の理論を打ち立てた。1921年ノーベル物理学賞を受賞。ヨーロッパ各地の大学教授や独カイザー・ヴィルヘルム研究所物理学部長を歴任した後、33年にナチスに追われて渡米。プリンストン高等学術研究所教授に就任。自身の研究が政府の原爆開発につながったこともあり、第二次大戦後は平和活動に取り組む。(ガバナンスキューさまの記事より抜粋)
アインシュタインのこの名言、めちゃくちゃ好きです。凄く的を得ていると思っていて。
常識とは偏見のコレクションだとしたら、結局正解なんてどこにもないんですよね。
先進国としての恩恵は存分に受けていて幸福な立場のはずなのに、なぜか満たされない心を抱いている人。
それ、賢くないことをはじめるチャンスかもしれませんよ。いや、別に犯罪に走れということではなく。
賢くないこと=合理的でないこととも言えるかもしれません。わざわざやらなくても、生活に支障がないことですね。
日常生活において、支障がないのはありがたいこと。ですがそれだけでは心は潤わない。
だから趣味の時間=無駄なこと(合理的ではないこと)が、ここで役に立ってくるんですね。
非生産的なことこそが、自分の心を潤してくれる。散歩、読書、運動、楽器演奏。なんでもいいです。
「でも…」。
「自分にはできる気がしない」「失敗したらどうしよう」などなど、石橋を叩きつつ、やらない理由や不安に押しつぶされそうなあなた。
石橋を叩くということはですよ?その橋を渡りたいから叩くわけじゃないですか。
ここは日本です、死にはしません。
むしろ心が死んでいくのを見殺しにしている人が、どれだけ多いことか。
どうせ渡りたいなら、さっさと渡ってみようぜ。
音楽の橋を渡ってみたいなら、ここに鉄橋がありますよ。
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