たいせつなきみ
いつ貰ったのか、なんで貰ったのか。
何もかもよくわからないけれども、小学生の頃、母から貰った「たいせつなきみ」という絵本。
本を開くと2001年2月20日11刷とあるので、当時私が7歳とか8歳とかの頃の記憶。
絵本のあらすじ
木製の人形が、人間のように暮らしている国での物語。
人形たちの国で流行っていることは、人形同士でシールを貼り合うこと。
素敵だと思った人形、才能ある人形、容姿の綺麗な人形には金の星シールを。
不細工、不器用、ダメだと思った人形には灰色のダメ印シールを貼り付けること。
木製の人形たちは毎日、シールを貼り、貼られて暮らす毎日。
そんな絵本の主人公であるパンチネロは、何をしても上手くいかない不器用な人形なので、毎日灰色のシールを貼られてばかり。
満身創痍のパンチネロ。
ある日、彼は金のシールも灰色のシールを全く貼られていない人形と出会います。
シールを貼られないようにするにはどうしたら良いかとパンチネロが尋ねると、その人形は「エリに会いに行きなさい」と言うのです。
エリとは、パンチネロを含めた全ての木製人形の生みの親。彫刻家の人間です。
パンチネロは勇気を出して、エリに会いに行きます。
パンチネロの生みの親であるエリと、ボロボロで見すぼらしい彼が行う言葉のやりとりが胸を打つ、静かながらも印象的な作品です。
なんでこれを贈られたのか本当に分からなかった
当時小学校低学年あたりですから、面白い絵本を期待して開いた覚えがあります。
そういえば、いくつか絵本を読んでいた時期があったことを思い出しました。
母、祖母、叔母などからいくつか絵本や児童文学をもらって読んでいましたね。
でも、なんでよく貰ってたんだろう?
小さい頃は入院しがちだったから、少しでも退屈しないようにとのことだったのかな。
当時は「十五少年漂流記」など起承転結がしっかりした物語が好きだったので、母から貰った「たいせつなきみ」は何を言いたいのか全然分かりませんでした。
一番印象に残っている、エリとパンチネロの会話
彫刻家:エリ 人形:パンチネロで色分けしています。
「ずいぶん灰色のシールをつけられたね」
「そんなつもりじゃなかったんだ、一生懸命やったんだよエリ」
「ああ、何もかも分かっているよ愛しい子。他の人形がお前をなんと思おうと構いはしないさ」
「ほんと?」
「ほんとだとも。お前だって気にすることなんかありゃしない。シールをつけて行ったのは一体誰だい?みんなお前と同じような人形じゃないか。皆がどう思うかなんて大したことじゃないんだパンチネロ。問題はね、この私がどう思っているかということだよ。そして私はお前のことをとても大切だと思っている」
「僕が大切?どうして?だって僕歩くの遅いし飛び跳ねたりできないよ。絵の具だってはげちゃってる。こんな僕のことがどうして大切なの?」
「それはね、お前が私のものだからさ。だから大切なんだよ」
先日帰省した時の母とのやりとり
私の地元は香川県。
新居浜からは下道で2時間程度なので、大した距離ではありません。
それでもやっぱり実家を出ると、親と会う回数はそれなりに減るわけでして。
脱サラしてからは割とちょくちょく帰れていますが、頻度で言えば数ヶ月に一度くらいでしょうか。
実家に帰ると親父は準夜勤で不在であることが多く、大抵は母と晩酌する流れになります。
母はお酒をそんなに飲む方ではありません。缶ビールを1本程度、付き合いで飲んでくれている程度です。
酔いが回っているわけではないのでしょうが、1時間も話していると必ず、父と母の若い頃のエピソードを嬉しそうに語り始めます。
正直私は何回目だよと思いながら、あるいは口にして悪態をつきながらも、それでも宝物を手に取って眺めるようにエピソードを話す母の姿は微笑ましい。
と同時に、「アンタが宝物のように話すその旦那のことで、散々な目に遭って心身ともに壊れていたじゃないか。」とも思ったり。
きっと当たり前ではないよ
私が小学校高学年〜中学の間の真鍋家は、まぁこの上なく荒れていました。
どんな経緯があるにせよ、母親の悲痛な声というのは、子供からすれば聞くに堪えない。
毎日毎日、怒号の嵐。
父の癇癪と母の泣き叫ぶ声が我が家に轟いていたものですから、私も部屋で一人悲しくって、途方に暮れていました。
母は心身の限界を迎え、入院したことさえありました。
それなのに、晩酌しながら目の前の母は親父について、若い頃はなんだったとかこうだったとか、まーだあれこれ喋ってる。
(あれだけのことがあって、なんでまだ親父のことを大切に思えるんだこの人は。
何回目だよあんたらの馴れ初め聞くの。缶ビール開いちゃったじゃん。まだ冷蔵庫にあるっけ)
そんなこと思いながら、酔いのついでに今一度聞いてみることにしました。
どんな言い回しだったのかは忘れたけれども、「なんでまだ親父のことを大切にできるんだ」って。
そしたら母は
「私の旦那だから大切に決まってる、当たり前だ」ってすんなり言うのです。
その時に、パンチネロとエリの会話を思い出しました。
絵本で描かれていたのは母から子への無償の愛。
簡単にまとめれば親子愛がテーマかと考えていたのですけれど。
母は父に対しても、無償の愛をいまだ保ち続けている。
もちろん、そう言えるまでの過程において、本当に色んな感情の渦巻きが激しく起こっているはずです。人間ですから。
今時の肌感覚で言えばきっと古いし、重い。
時代遅れの考え方なのだろうとは思います。
親子なんだなと思ったよ
実際、夫婦って実際に形成してみると案外とんでもなく脆くて、理想や綺麗事だけじゃ維持していけない。
少なくとも私には、結果として維持できませんでした。
私は元妻と交際している頃から、険悪な空気になると「所詮他人でしょう」と何度も言われたことがあって。
そう言われた私は決まって「他人じゃない、恋人だ」とか、「他人じゃない、家族だ」と返していました。
所詮、他人。言われるたびに引っかかる。
思うに、恋人が他人なのは最初から分かりきっている。
その他人を、利害を越えて大切に思い続けるのに値する、本当に貴重な存在が恋人であり、夫婦なんじゃないのか。
私は今でも本気で思っています。お恥ずかしながら。
ただ、私が一方的にそう主張したところで、その気持ちが届くとは限らない。
なので、紆余曲折あって今の私があるのですけれども。
まぁー、自分のことながら古いし重い。
…あれ。どっかで見たなこんな人。
でも、そんな古くて重い自分が嫌いじゃ無いというか。
多分私が親からもらったものの中で一番大切にしているのは、そんな恥ずかしい気持ち。
母の生き様と、母のくれた絵本が私の根っこになっている。
なんだかそんな気がしているのです。
母とは誕生日が一日違い
中学の頃。
学校の授業で、「ご両親にお礼の手紙を書きましょう」という時間がありました。
中三で立志式があったから、それに絡んだ授業だったのかもしれませんけれど、これが困った困った。
なんて書けば良いのか分からないのです。
周りの知人・友人はスラスラと、1時間の授業の間に問題なく書き終えていました。
手紙の内容はプライベートなものということで、先生による検閲は入らず、各々の気持ちがそのまま手紙となって郵送されました。
私、本当になんて書けば良いのかが分からなくて。
1時間かけても何も文字にできなかったので、授業の終わる間際、母の推しである亀梨和也の似顔絵だけ描いて封をしました。
どんな絵だったのか、今でもはっきり思い出せます。
我ながらアレは上手く描けたからね。
そして、自宅に届いた手紙を開けた時の、落胆した親の表情も。
…いや、1時間で日頃の感謝の気持ちをまとめるのは無理だって。
逆になんでみんな1時間で書けたんだよ。親に渡す手紙だぞ?かたたたきけんみたいなノリじゃ書けねぇよ。
本当はここに書いているような気持ちを手紙にできれば良かったんだろうけど、当時は上手く言葉にできなかったし、今も上手く文字にできてはいません。
多分、気持ちを言葉にすることに完成はない。
ただ、あの時の手紙で私が書きたかったのは多分、ここに書いたことについてだと思います。
今日は母の誕生日。
相変わらず心配させてばかりのロクデナシな息子で、申し訳ない。
本当に相変わらず、金もなければ愛想一つ送る余裕もない。
ただ、今日の記事の内容を伝えないまま一生の別れが起こったとしたら、多分私はそれこそ一生後悔するんだろうと思ったから、でも直接は送れないので、ここにこっそり書いておきます。
誕生日おめでとう。母さんと絵本のおかげで、自分の生涯において大切にしたい気持ちを一つ見つけられたこと、心から感謝しています。
どうか健康で長生きしてください。
いつもありがとう。

